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2017.08.17 ◆ #92 小野徹也さん(㈱Re 代表取締役)弘前の高校を卒業して青森県から横浜の建築会社へ。22歳で独立しました

この回のパーソナリティはピンチヒッターで庄司君が担当しました!

第92回のゲストはリフォームのお仕事をされている株式会社Re(アールイー)代表取締役の小野徹也さんでした。小野さんは東京在住ですが青森県ご出身のため、お盆の帰省の途中にわざわざ仙台に立ち寄ってご出演いただきました。今回のパーソナリティはピンチヒッターで庄司康裕さんが担当してくれました。

出だしのトークを3分間だけご紹介

─ 小野社長は建築系のお仕事だとお聞きしているんですけれども建築業だとこの雨はなかなかつらいですかね。

小野 お陰様で40年ほどやらさせていただいて、弘前工業の建築科を出て横浜のほうの会社に入りまして・・・

─ 小野社長って高卒なんですか?

小野 そうです、そうです、大学は行ってないですよ。早くから働きたくて働きたくてしょうがなかったですね。

─ 僕もお世話になっていますし素晴らしい会社ですし事業もいろいろされて来たということで、てっきり大卒だと思ってました。

小野 だって大学生って(働き始めるのが)22歳からでしょ?18から卒業した僕は4年間働いたらそれだけですごいステータスじゃないですか。

─ じゃ、18歳から建築業ということですか?

小野 そうですね。で横浜の会社に入って22歳で独立しました。(「え!22ですか!」)そうですね。

─ 22歳で会社に入るのと18歳で会社に入るのとは全然違ったということですね。よく22歳で独立というお気持ちになれましたね。

小野 あー、それはやっぱりちょっときっかけがあったんですよ。高校の時にバドミントンを3年間やってまして、就職して横浜の会社に入って建築の中でも店舗業をやったんですが、お店をつくる仕事ね、お店を一からつくる仕事に携わって、そのときは横浜も、ものすごい建築ブームだったんですね。で、残業徹夜残業徹夜でほとんど遊ぶ時間がなく、会社と寮やアパートとの行き来だけだったんですよ。ま、親父にね、僕らの時代は昭和だったから「石の上にも三年」てよく言われたわけよ。それがあったから耐えられていたんだけど、あるとき本屋さんに行って本をいろいろ探している間に『自分の会社を持ちなさい』という本に出合ったんですよ。それを手に取って見たときに、自分で会社ってつくれるんだ、って思って・・・(この続きは上の音声プレイヤーでお聞きください)

パーソナリティ:庄司康裕、記事:笹崎久美子

本日のPHOTO

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今日のリクエスト曲

小野徹也さんのリクエスト曲は
レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラの『シバの女王』でした。
中学2年生の時に人生で初めて自分でお金を出して買った”レコード”がこの曲とのこと。

本日のゲストについて

小野徹也さん
株式会社Re(アールイー)代表取締役
(友人の庄子康裕さんのご紹介です)