【2026.6月】我が人生そして司法書士(目黒信宏会員)

エフエムたいはく『あっ!司法書士に聞いてみよう!』は宮城県司法書士会が毎月第4木曜日の14時から仙台市のコミュニティFM局で放送している30分のラジオトーク番組です。(78.9MHz)

このブログでは番組で放送された音源を掲載し、前半と後半の出だしのトークの一部(要約)と概要をご紹介しています。

2026年月6月25日(木)は、宮城県司法書士会の 目黒信宏さん に「我が人生そして司法書士」というテーマでお話を伺いました。

※目黒信宏さんの過去のお話はこちらです。
➡ 2022年9月22日 【2022.9月】配偶者居住権について

 前半  目黒さんと私(笹崎)は幼稚園が同じでした

ー 4年ぶりのご出演ですね。よろしくお願いします。本日のテーマは「我が人生そして司法書士」ということですが

目黒 実はですね、私ども司法書士はお客様に対して常日頃から終活をお勧めいたしておりますが、自分を振り返ってみるとなかなかやっていないなというふうに本当に反省をしまして、医者の不養生とか紺屋の白袴とかいろいろ言いますよね。

そんな感じで全然やっていないという自分に気が付いてですね、やはり自分の人生を一回振り返ってみたほうがいいんじゃないかということで、最終的に司法書士になった経緯とかその辺も含めてお話しできればということでこのテーマを選ばせていただきました。

ー はい、楽しみにしております。スタートはどこから?

目黒 はい、私は生まれは仙台市内で商家に生まれまして、商家では子供というか赤ん坊は邪魔な存在というかそういうこともございまして、幼稚園は3年保育でした。

また小さいころから「食べるのが遅い人間はなんでも遅いんだ」としつこいくらいにいわれましたですね。そういったことが私の基本的な人格形成につながっていったのかなとも思います。

ー 先ほど私の幼稚園の先輩であることがわかったんですよね!

目黒 おっしゃるとおりでございます。

ー びっくりして先ほどは打ち合わせで盛り上がって先輩とおよびしようか?などと話していたのですが、そこから次のステップということになるわけですね。

目黒 まあ、経緯からお話申し上げますと、実はですね、大学受験のときにある小説を読みました。第一回芥川賞の受賞作家で石川達三さんという方がいらっしゃるんですけど、その方の『青春の蹉跌(さてつ)』という本です。

蹉跌(さてつというのはつまずきという意味なんですけれど、その本を受験時代の夏休みにたまたま見ることがありまして、この時に、法律っていうのは使いこなせば非常に人間の役に立つ、自分の人生にとって役に立つんだなということに気が付きました。(以降のお話は再生プレイヤーでお聴きください ※続きは05:00前後からです。

※音源はAppleSpotifyAmazon等の各Podcastでも配信しています。 w62_Spotify-Podcast w62_Amazon-Podcast
※番組の概要や最新の放送につきましてはトップページをご覧ください。


リクエストコーナー


 後半  中国渡航がきっかけで二度目の”死にそうになったこと”が…(続きは音声で)

司法書士の目黒信宏さん(左)とパーソナリティの笹崎久美子(右)

ー 前半のお話を整理いたしますと、造船工学科を卒業されて貿易商社にお入りになったんですね。船はつくらなかったんですか?

目黒 そまあ、不況業種を渡り歩いたという感じがありまして、私がちょうど在学中に造船自体がだいぶ不況になりまして、(海外に興味があったので)海外に行くとしたら手っ取り早いのが貿易商社だな、ということでそちらのほうに入りました。

ー 海外つながりだったんですね

目黒 おっしゃるとおりです。ブラジルに親戚もいますし、海外に行くのが非常に好きだったので海外に関係があるというくくりですね。

ー その貿易商社の次が司法書士ですか? 

目黒 本いえそうじゃなくて、先ほど申し上げましたけどタクシーですね。そのあとちょっと地元に戻りまして絵関係の会社に携わった時期があったんですね。それと同時に私はやっぱり外国というのが好きだったので会社を立ち上げました。中国茶とかあとはロシアの絵画の輸入なんかもやりました。

ー 会社を設立されたのであれば一回は司法書士のお世話になっているということですよね

目黒 考えてみればそうかもしれません。実際は会社法人自体はまだあるんですけれども実業としてはもうほとんどやっていないということです。

一回目の死にそうになった話を先に申し上げましたが、実はその中国に関して2回目の死にそうになったことがございまして・・・。

実はですね、ご縁があってある大手の食品会社さんの販促ノベルティを探しに中国に一番最初に行ったんですね。そちらのほうはうまく行きまして、花の咲くお茶というのを輸入したのはたぶん私が日本で初めてだと思います。

中国には合わせて20回ぐらい行ったかもしれませんが、そのうちに一回にデンジャラスなことがあったんです。それは大連に行ったときです。中国というのは料理が大皿で出てくるのがメインで、日本のようにたとえば回転寿司とか個別に一人で食べられるような料理があまりなくてですね。(以降のお話は再生プレイヤーでお聴きください ※後半は15:51から。このお話の続きは19:35前後からです。

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本日の目黒さんのリクエスト曲は『上を向いて歩こう』

本日の目黒信宏さんのリクエスト曲は 坂本九 の『上を向いて歩こう』でした。

目黒さんのコメント 「私は卒業してから貿易会社に入りまして、それから何年か経って、ある事情で1年余り東京のタクシー会社でタクシーの運転手をしておりました。

その時期にちょうど日航機の墜落事故がありまして、私は次の日が出番だったんですけれど、ラジオを聞きながらその後の状況をずっと追っていました。あの事故では4人の女性が助かりましたよね。そのニュースはよかったという思いで聞いていた記憶があります。

あの事故では坂本九さんが亡くなりましたので、それでこの曲にしました。 」


パーソナリティから 〜現在のお仕事からは想像できないご経歴でした~

目黒さんは終始穏やかな口調で淡々とお話しをされる方ですが、今回の内容は意外なことの連続でつい聞き入ってしまいました。

大学卒業後に貿易商社に勤め、その後タクシー運転手も経験されたという経歴だけでも面白いのですが、貿易商社での経験を生かして、ご自身でも輸入の会社を経営されていたことは意外でした。

なかでも印象に残ったのは、二度も「死にそうになった」というお話です。特に海外で生ものを食べたことがきっかけで肝機能が悪化して緊急入院したという二度目のお話は、最初は旅先でのちょっとした出来事のように聞いていましたが、帰国後に体調が悪化して命にかかわるほどの事態になったという展開は、危険なものを食べてもすぐには症状が出ないこともあるんだと思いましたし、そこまで深刻なことになるとは思いませんでした。

さまざまな経験をされているのに、目黒さんが静かにお話しになるせいか、不思議と重たくならず、もっと続きを聞いてみたくなりました。人生には本当に思いがけないことが起こるものだと感じた放送でした。

*記事作成 番組パーソナリティ/笹崎久美子(ワッツ・ビジョン


お問い合わせ先

※番組でご紹介した内容/イベントや会社設立・不動産登記・相続・遺言・成年後見などのご相談に関しては宮城県司法書士会ホームページ
022-263-6755までお気軽にお問い合わせください。

AIがまとめた本日の主な放送内容

※放送音源から自動的に作成された内容を掲載しております。正確な情報や詳細に関しましては実際の音源を試聴してご確認ください。(今回は全編がエピソードトークのためAIもまとめきれなかったのか、ほぼ全文の要約のような形になっています)

生い立ちと幼少期の影響

仙台市内の商家に生まれ、幼稚園は3年から通った。
幼少期から「食べるのが遅い人間は何でも遅い」としつこく言われ、それが人格形成につながったと振り返る。

大学受験期:法律との最初の出会い

大学受験の夏休みに、第一回芥川賞受賞作家・石川達三の小説『青春の蹉跌』(「蹉跌」はつまずきの意)を読み、「法律は使いこなせば人間の役に立つ」と気づいた。
法学部進学を希望したが、それまで工学部向けに準備してきたため受験科目が大きく異なり、志望校合格が危険と判断して断念。予定通り造船工学科に進学した。

大学時代:上高地での危機

大学では英語系サークルに所属し、英語ディベートの合宿で上高地を訪れた。
急流の冷たい川(約4度)で石を投げようとした際に川に落ち、岩にしがみついて助かった。約10〜15秒の出来事だったが、1時間ほどに感じられ、走馬灯が浮かんだという。周囲は笑っていた。この話は今でも同窓会で語られるとのこと。

卒業後のキャリア:不況業種を渡り歩く

在学中に造船業が不況となり、海外志向から貿易商社に就職。
その後、事情により東京のタクシー会社で約1年余り運転手を務めた。1985年の日航機墜落事故(犠牲者約520人)はタクシー運転手時代の出来事で、4人の生存者(全員女性)のニュースをラジオで聞いた記憶がある。坂本九がこの事故で亡くなったことから、リクエスト曲として「上を向いて歩こう」(坂本九)を選んだ。
地元に戻り、友人関係の会社に携わる傍ら、中国茶やロシア絵画の輸入を手がける会社を自ら立ち上げた。会社の法人格は現在も存続しているが、実業としてはほぼ活動していない。

中国での危機(2回目の死にかけ体験)

中国には合計約20回渡航。2000〜2001年頃、大連での仕事終了後、大連駅地下2階の回転寿司店(現地人経営)で1人食事をした際に赤貝を食べた。
帰国後約2週間で体調が急激に悪化し、運転中に隣の車に接触しそうになるほどの状態に。知人の病院でビリルビン値が「見た中で新記録」と言われるほど悪化しており、その日のうちに労災病院へ入院。医師から「今日が山場」と告げられるのを意識のある状態で聞いたが、「このまま死んでも仕方ない」という気持ちになったという。幸い回復した。

司法書士への転身

2011年の東日本大震災の翌年に父親が亡くなり、人生を振り返った際に「やり残したことがある」と感じ、大学受験時に読んだ『青春の蹉跌』を思い出した。
2012年頃から司法書士の勉強を開始し、令和元年に司法書士資格を取得した。受験勉強の時期が同じだった仲間として、複数の名前が挙げられた(発話が不明瞭なため個人名の特定は困難)。

司法書士業務への多様な経験の活用

貿易・海外渡航・起業など多岐にわたる経験が、顧客との会話や話題提供において役立っていると述べた。

幼少期の読書体験と人生観

小学校5〜6年生の頃に読んだ五木寛之の『青年は荒野をめざす』(直木賞作家)が印象に残っており、「青年は荒野を目指す志なんだ」という趣旨の言葉が、節目ごとに何かに挑む姿勢につながったと振り返った。
司法書士は日頃から顧客に「終活」を勧めているが、自分自身は実践できていなかったと反省し、今回の自己の人生振り返りにつながったと述べた。